今朝、ツイッターのトレンドを見ると”近藤真彦””芸能活動”なんてワードが。ああ、あの不倫騒動ね…芸能人はこういうの目立つのね…なんてぼーっと考える一方、「この人、もういい加減いい年じゃね?まだ不倫できるほどモテるのか~すげーなー」とか庶民的かつ下世話な想像をめぐらしておりました(笑)。私なんか、不倫できるほど女の子は寄ってきませんから。
ああ、でも若いうちからあちこちちょっかい出していると、こういう特技(?)って実は身についたりしてね。そういう意味ではもっとオープンな青春を過ごせなかったことをふと悔いたりしていて…って、まるでマッチの不祥事を正当化してますな(笑)
で、本題はそこではなくて、トレンドに”ゴミ人間”なんて書かれていたから、「またこういうのをボコボコに叩きたがる人いるよね~…」なんて思っていると、実は全然関係ない、あのお笑いのキングコングの西野亮廣が書いた本のタイトルだって…いや~こんなタイトル辞めようよ、って(笑)。
まあちょっとあざとさも感じられるワードでありますが…それにしてもある意味、とばっちりを食らった感じですな(笑)。
ツイッターとかSNSの、こういった短い言葉が伝達媒体になるものはある意味こういうのが面白いところであり、かつ弱点でありますな。要は伝達ゲームみたいなものであり、情報の正確性がゆがめられる可能性もある。
ちょっと前、ある程度インターネットが一般化すると「ググる」なんて言葉が横行しましたが、今じゃツイッターで「ツイる」なんてツイッターで情報を探したりするらしいんですよね。
それって、大丈夫なんかいな…とちょっと心配になります。フェイクだなんだとつまらん状況が往々に発生する現代でありますが、昔はそもそも情報自体がなくて…と、人間はとかく情報に縛られ、足かせを付けられているもんなんだとつくづく思います。
場所による依存メディアの違い
一方、広島に戻って一つ思ったことがあるんですが、意外にこの情報源って地方性や年齢層で変わっていくもんだなという気がします。
私は大学卒業後に30年近く関東方面にいたんですが、その当初はちょうどインターネット黎明期でもう終わりの10年くらいは、世の情報はほぼインターネットに奪われた、テレビを見てあーだこーだと言っているのって、どうしようもないなという気もしていました。
芸能関係の取材はたびたび行きましたが、なんかどこもやらせ感満載で、余計にテレビなんてメディアの情報は信用できない。
新聞なんてテレビの二次情報だと、余計に信用できてなかったんです、正直。報道をする自分がそんなことを考えていたくらいだったので、それも人から見たらどうなんだという感じですが、つまりはネットが中心かな、と。
ところがこちらに戻ると、なかなか家から出ないからというのもあるんですが、結構テレビやラジオ、新聞の情報が重宝される感じもあります。
若い人は相変わらず(?)スマホばっかり見ているけど、取材なんか行くと映画祭では新聞社が一日張り付いたり、結構積極的に深く取材されている感じもあります。
あれが首都圏だったら、目当てのタレントが引っ込んだらみんなそそくさと帰っちゃったりするんだけど…当然場所柄というのもあるんですが、トピックスに関しての集中力が違う感じもあって非常に新鮮。情報も信頼できる気もします。
また面白いのがラジオ。特にテレビ局と紐づいているからと、広島ではRCC(中国放送)がテレビもラジオもかなり勢力として強い存在なんです。
で、こっちに戻ってきて家族の勧めもあって、午前中は仕事しながらAMラジオを聴くことが増えました。これって今までなくまた新鮮な経験なんですが、これがまた面白い。午前中は「平成ラヂオバラエティごぜん様さま」が定番。
2003年から続いている長寿番組で、今は月曜日が元広島東洋カープの安仁屋宗八さんと女子アナさん、火曜日からはある意味広島の名物男である(笑)横山雄二さんと、女子アナが日替わりでパーソナリティーを務めるというものなんですが、この火曜日から金曜日というのが結構なクセモノなんです。
もうノリがまるで深夜放送ラジオで、午前中だというのに結構下ネタ全開(笑)。んで、結構ラジオってそんなもんなんかなーって思うんですが、芸能人のスキャンダルなんてあるととにかくしつこいくらいにぶっこんでくる。
今日なんかコンドーさんの話を「俺がマッチだったら、愚か者と言われようがけじめなさいと言われようが、いろんな女性の心に火をつけてまわるけどね」なんてノリノリ。
「テレビだったらもうちょっと控えめに…暗にちょっと触れるくらいで収めるはずなんだけどね…」とラジオの向こうで苦笑いしている自分がおりました。
ただこれ、コンプライアンス的にどうなんかなーと思う一方で、ここまでさらけ出すとなかなかに潔い、メディアとして信頼できそうな感じもするんです。いかにも作った!という感じ、何もかも出来過ぎていて不自然ではなく、情報を情報として受け取って問題ない感じ。もちろんそこにパーソナリティーの主観は入っているけど、それはそれとして自分の主観を保つことはできる。こういうのは大事だと思うんですよね。
もちろん「RCCが主導を握っている」「中国新聞が主導を握っている」というのは、視点を変えると「メディアの視点が一点に偏り過ぎている」と批判的な意見を出す人もいるかもしれません。そういう考えを持たれる人は、ある意味ビジネスチャンスを得ていると考えてもいいかもしれません。つまりそういった一極集中の視点とは違う観点で情報を発信するところにニーズがあると感じるわけですから。ただ、私としては広島というこの都市規模で、これだけの情報を提供するという意味でこの情報構造というのは意外に保たれたバランスになっているのかもな、という気もしています。
都会はとにかく人が多すぎるため、いろんな点で物事を見なければならないでしょうし、そういうことをあれこれと考えているからメディアとしてもいろんなものが氾濫してしまうのでしょう。なかなか都内で過ごすのは大変なことであると、改めて感じるところです。
自分で発信してみよう!
ここまでこんなことを言って、今回は何だというと「自分で発信してみよう!」ですよ。昨日書いたまとまりのない文章でも少し触れましたが(笑)、今だからこそできる情報発信ってある、なにか面白い情報発信方法ってあるんじゃないか、意外にこうしたほうが広まる気がするものがあるんです。
例えば私が広島でラジオにカルチャーショックを受けたように、案外古い方法を見直してみる、例えばSNSなんてみんな使っているからこれで情報発信しても広がらない、案外こういう時代に手書きのビラを配ってみたりした方が「面白い」と思ってもらえたりするんじゃないか、と。
実は、大学時代に音楽に興味がすごくあって、某雑誌の情報から「英国音楽」というミニコミ誌が出ているのを見つけて、郵便で購入したことがあります。
この雑誌、知る人ぞ知るという伝説的なミニコミ誌で、今でも一冊だけ手元にあるのですが、今見てみるとこれがかなり新鮮。
パソコンなんてなくてワープロがまだ高価な専用機だったので、中身はすべて手書き。しかもレイアウトまで柄を全部切り貼りし、白黒コピーしているわけです。
アーティスト写真なんて「本人かどうか識別できない」というレベルなんですが、そういうのがかなり味があります。
また今時のネットで紹介されているメディアに、一般のユーザーが”つまらん”なんて一言、まったく役に立たないことを書いているレビューとは違い、ライブレポートとかもう主観バリバリで楽しいレポートがびっちり埋めてあるんです。
引っ越しでこのミニコミ誌見つけたとき、改めて見ると衝撃的で「これ、自分でも作ってみたい!」なんて思ったりしました。
今だったらデジカメで写真を撮って、アドビのフォトショップやらイラストレーターで編集、あるいはそんな有料のものでなくてもフリーソフトで結構ちゃんとしたものが作れます。
逆にこのミニコミ誌くらいのグレードに敢えてダウンすると、それはそれで面白い、逆に新鮮に見えるかもしれない、なんて思うわけです。
また、ラジオだって面白いかもしれません。電波に自分の声を載せるのは、放送許可の取得や結構高価な機器を購入しなければならない、知識が必要とハードルは高いですが、例えばYouTubeに音声だけ載せるとか、いろんな方法がありますね。
Webサーバに音声ファイルを載せて、各自PCで再生してもらうという手もあるかもしれません。YouTubeで情報発信って、例えば芸能ニュースをテキストスクロールを動画に乗せて、適当なBGMを流すなんてやり方でやっている人もいるけど、あれはとにかくスマホばっかり見ている人向けの発信。
BGM代わりに流して聴いてもらう、みたいな感じだと音声だけでもいいのかもしれません。そう考えると意外にラジオって発信の仕方も簡単にできそうです。
ラジオでの発信ってやってみたいなと考えて何かできないかと案件として自分の胸の中に積んでいるんですが、「じゃあ何を発信しよう?」というところを今まだ模索しているところで…
でももうちょっと気軽にできることを考えてもいいかな、と。でも実は、こういう発信ってのは受信側のためというより、ある意味言い方は悪いですが「発信者の自己満足」というか(笑)。
本当に印象の悪い言い方ではありますが…でも自分の情報をある程度明確にする、自分の受けたい形に整理しておくという意味で、こういう形にするというのは意義がある、クリエイティブでもある点ではないでしょうか。もっとなんか「こういうやり方あるよ!」というアイデアあると、皆さんも試してみませんか?
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