いや~またどうも久々の更新になってしまいました。すみません…こうもコロナ対策、コロナ対策と長引くと、いろんなことに対するモチベーションもかなり下がってしまいまして。皆さんも、いろんなものを犠牲にされていることでしょう。
しかし、だからといって何かに言い訳するのはどうか、と思うのです。何を言っているのかというと、コロナ禍が広がってだいぶ過ぎましたが、皆さんの注意力はだいぶ下がっているように思えるのです。
ソーシャルディスタンス、ソーシャルディスタンスと騒ぎ立て、マスクも必需品としてありましたが、ホリエモンのわめきを筆頭にだいぶ注意が緩くなったように思うのです。
だけどお忘れなく、ウィルスに対するワクチンはまだできていません。決定的な対処方法がない中、感染後に大変なことになる恐れは、誰一人として免れていないはずです。Go Toだのなんだのという動きはあるかもしれませんが、守らなければその大変な目に合うという可能性はずっと引きずっているわけです。
果たして、その覚悟は皆さんにあるのでしょうか?さらに感染したら、周りにも確実に迷惑が掛かります。そういった注意に関しても甘いでしょう。
今回の問題に対する政府の対策に文句を唱える人もたくさんいますが、あれって政府という機関の限界だと思いませんか?
例えば自民党のやり方が問題だといわれていますし、ほかの党が対策したらまた違った結果になったという考えもあるかもしれませんが、今あちこちで浮上している問題のレベルが、党が変わったからとそれほど大きく変わるのかというと、そんな気は全くしません。
そういったときに、個人個人でやらなければいけないこと、政府がどうとか文句を言う前に自分がやらなければならないことをやっているか、今一度考える必要があるのではないか、と思うわけであります。
これは当然、自分の考えの甘さから、心からそう思うわけでして。こういった意見に拒否反応を示す人も多くいることでしょう。ただ言いたいのは、自分のこと御w差し置いて文句ばっかり言っているやつのことなんか、誰も聞かないよ、ってこと。
さあ、久々の愚痴はこれくらいにして(笑)。
で、家で過ごす時間も多い中、家にある中華プロジェクターの出番も多いわけででありましたが、たびたび使ってくると、買ってすぐの時に「おっ、結構これ使えるじゃん!?」と感動していた気持ちに対して、あちこち気に入らないところが見えてくるわけです。
まあこれは長い間連れ添った夫婦みたいなもので(笑)。4月に亡くなられた大林宣彦監督が1986年に発表された「夢の色、めまいの時」という自伝的書籍があるのですが、そこに「恋」と「愛」の違いということについて触れています。
盲目となる「恋」に対し、「愛」には責任というものが伴う。まさしくその気持ちであります、いや大林監督、さすがでありますと今更ながらにその偉大さに気づいた次第でした。
で、大きく気になった点、何とか改善できる方法はないかと考えていたところでしたが…ネットを探しても、なかなかプロジェクターに手を加えたという記事がない。安物だけに、なかなか触るのも難しいのか?安いものなら、高いものに買い変えなよ、という考えなのかもしれません。
でも、ここはひとつチャレンジしてみましょうよ。安っぽいものだけに、安っぽい原理で作っているに違いない。その意味では、安っぽい対策も何かあるかもしれません。
気になっているのは、やはりファンの騒音。筐体の周りに防音対策を行うことも有効かもしれませんが、筐体内の空冷状態がどうなっているかを、改めて確認しておきたいところであります。
また、もう一つ気が付いたのが、画質。よくこういった中国製の安プロジェクターって、明るさが「暗い!」といわれるんですよね。その意味では、結構私が購入した機種は明るいんです。
ところが上限まで明るくすると、画全体がかなり薄くなり、黒部分がかなりかすんで汚く見えるんです。もうちょっとコントラストのはっきり効いた、メリハリのある画にならないものか、と思うのですが…
というわけで、こういったところに対してどんな対策ができるの?というところを次回から考えていきたいと思いますっ!
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